長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

開戦の日

 忠臣蔵を討ち入りの場面から見ると、弱い老人を切り捨てる残酷な物語になる。
 第二次世界大戦真珠湾攻撃の場面から見ると、日本人として釈然としない歴史認識になる。
 しかし、その背景を見れば、忠臣蔵江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主 浅野長矩高家肝煎 吉良義央に切りつけ切腹になり、君主のあだを打たんが為の物語であるから、私たちは家臣の忠誠心に感銘を受け忠臣蔵として語り継いできた。
 真珠湾攻撃アメリカ人の視点から見れば許さざる事だろうが、その歴史的背景を考察すれば日本人として十分に理解できる。
 何事も視点を変えると起こった現象自体は同じだが、その意味は全く違う場合がある。
 私たちは現在進行形の歴史の中で生きているが、現在起こっている現象だけを捉えると正しく判断が出来なくなることを知る必要がある。
 戦争は行ってはならない蛮行であり、残されるのは大きな悲しみと虚しさだけである。私たち日本は、戦後70余年一度も戦争をしてこなかった。
 しかし、それは憲法9条があったからだけではない。時の内閣が、世界情勢に鑑み様々な解釈を行い、刻々と変化する世界情勢に対応してきたからだ。
 そこを、よく理解する必要がある。
 過日、ある特攻隊員が家族や恋人に綴った遺書を見た。とても心に残ったのは、自分の婚約者に向けて書いた、遺書の中に綴られていた。
 『自分が心配なのは、君が過去に生きることだ・・』自分は逝かねばならないが、それをずっと、悲しみとして持つのではなく、未来に生きて欲しいという彼の想いは、自分の悲しみを抑え、婚約者の未来を願った。
 未来に生きるからこそ、未来を変えることができる。
 有りもしなかった従軍慰安婦強制連行や、当時日本人も朝鮮人も同様に国家総動員法の元給与をもらいながら働いた事を強制労働と称し、大騒ぎする野蛮な民族に未来はあるのだろうか。
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