長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

仕事が面白い、仕事が面白くない

 仕事が面白いって何だろう。面白い、面白くないには様々な理由があるだろうと思う。面白い、やりがいを感じる、楽しい、モチベーションが上がるとはどの様な時なのだろう。
 自分自身を翻って見ると、お客様からお褒めの言葉を頂いたとき、期待されたとき、出来なかったことが出来るようになった時、周りから頼りにされた時、人の役に立ったとき、人から必要とされていると感じたときだと思う。
 どの様な仕事でも、自分自身の意識の持ち方でとても面白く、やりがいのあるものになる。
 ずいぶんもう時間は過ぎたが、同僚であった彼はとても明るい存在だった。挨拶は大きな声で、いつも笑顔でにこにこしていた。仕事はパッとしなかったが、彼の存在は職場の雰囲気をポジティブにした。
 人から必要とされる人間になれればと一瞬真面目な顔をした。
 人はどの様な形でも人から必要とされる人間になれる。彼は周りにポジティブにすることでその役割を果たしていたのかも知れない。
 もし、仕事が面白くないと思っているなら、それは仕事の内容では無い場合の方が多い。どんな仕事でも、どんな事でも本気の本気で取り組めば意外なかたちで人の役に立つ事に気づく。その彼は今は上場企業の部長職である。人生は面白い。
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変化・持続・習慣化

 決めた事が変わらないのは、これまでやっていたことが習慣化してしまっているからに他ならない。
 しかし、一方では習慣化するまで意識に繰り込めば、これは強力な力になる。
 先ずは、変化する事に対する第一歩を踏み出す覚悟と意識が必要なのだ。大きなストレスにさらされることも承知しているが私たちはやりきらねばならない。
 変化とは不安定な状態をいう。不安定な状態に人は不安を覚える。早く安定したいと思う。だから変化に対する一歩が出ない。
 変化を持続させることはその次の課題だ。変化してもすぐに安定方向(これまでと同じ環境)に戻ろうとしてしまう。それを強い意識を持って持続させるのだ。持続すれば習慣化し、習慣化すれば必ず変化する。
 思考には気を付けなさい、それは何時か言葉になるから・・・
 言葉には気を付けなさい、それは何時か行動になるから・・・
 行動には気を付けなさい、それは何時か習慣になるから・・・
 習慣には気を付けなさい、それは何時か性格になるから・・・
 性格には気を付けなさい、それは何時か運命になるから・・・
 マザー・テレサの言葉を思い出す。
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理屈を理解する

 ホンダがつくる、レーサーレプリカ『RC213V-S』の生産に携わる事ができる作業者の条件は、部品の一点一点の存在理由(何故それを使うのか、その理由)を理解し、且つ、組みつけの条件の意味(何故その組み付け条件なのか)まで熟知している事が求められる。
 単純にこう造りなさいではなく、なぜその部品なのか、そしてなぜその組み付け条件なのかを説明できることで、全ての意味を理解できるのである。
 私たちの業界であるメーカーが低圧損(低圧力損失)ホースを開発した。従来の送水用ホースに比べ圧力損失が半分になる。これは非常に画期的だ。
 特に一本の送水用ホースを延長し、先端で分岐体系を取る場合は効果は絶大だ。しかし、それをしっかりと説明するには技術全体の意味を工学的に理解することが必要なのだ。
 それを理解せずして、ホースの圧力損失が半分になる事を説いても、これがいかに実践に有利かを説明することは難しい。
 先ずは説明する側が理屈を理屈として理解することだ。そのホースの存在理由を十分に理解することに大きな意味が存在するのである。
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自然水利を取る

 消防団はできる限り自然水利から水利を取る様に指導している、というのは金沢市中心市街地の消防団分団長である。
 何故か、と尋ねると以前工場用地だった場所が住宅地に造成された場合や、新たに開発されたそれは、消火栓に問題があることが多いという。
 しっかりと計画されている消火栓は配管がループになっているため、メイン管で水利をとっても枝管まで水が回ってくる。
 それを考慮されていないどん詰まりの消火栓は、メイン管で水利が取られた場合枝管まで水が到達しないことが少なくない。
 しかし、自然水利は水深が浅くとも流れがあれば無限に水を取ることができる。ホースブリッジで水をせき止め、水を上昇させる工夫は必要だが面倒がらずに自然水利を取る事を心掛けることが大切だという。
 現場の経験は私たちにもとても納得できる情報だ。こんな時こそ低水位吸水ディバイスが役に立つのだ。
 私たちは様々な機器を提案できるが、常にお客様の視点に立つことが大切だと再認識したのである。
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人からヒントを得ても真似はできない


 わずか数センチの角度の違いでそれは全く違う結果を生む。その角度は、身長、手足の長さ、その可動域よって大きく左右される。
 それぞれ顔が違うように人によって全く異なるのである。フェイスに一人で向かっていると、課題をクリアー出来ずに煮詰まってしまうことも少なくない。
 しかし、何人かで岩稜に向かっているとそれぞれにヒントを得ることができる。ただし、それはあくまでもヒントだ。身体のジオメトリーは人によって全く異なるのだ。
 従って、人を真似て結果を得ることは難しい。アルパインの技術の一環として学び始めたクライミングだがその奥の深さには驚くばかりだ。
 それこそ全く異なるスポーツからビジネスのあり方に対してのヒントがある。その人の持って生まれた性格はビジネスにも大きく作用する。それは身体のジオメトリーの違いのように人によって異なり、従って当然のように結果も異なるのである。
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開戦の日

 忠臣蔵を討ち入りの場面から見ると、弱い老人を切り捨てる残酷な物語になる。
 第二次世界大戦真珠湾攻撃の場面から見ると、日本人として釈然としない歴史認識になる。
 しかし、その背景を見れば、忠臣蔵江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主 浅野長矩高家肝煎 吉良義央に切りつけ切腹になり、君主のあだを打たんが為の物語であるから、私たちは家臣の忠誠心に感銘を受け忠臣蔵として語り継いできた。
 真珠湾攻撃アメリカ人の視点から見れば許さざる事だろうが、その歴史的背景を考察すれば日本人として十分に理解できる。
 何事も視点を変えると起こった現象自体は同じだが、その意味は全く違う場合がある。
 私たちは現在進行形の歴史の中で生きているが、現在起こっている現象だけを捉えると正しく判断が出来なくなることを知る必要がある。
 戦争は行ってはならない蛮行であり、残されるのは大きな悲しみと虚しさだけである。私たち日本は、戦後70余年一度も戦争をしてこなかった。
 しかし、それは憲法9条があったからだけではない。時の内閣が、世界情勢に鑑み様々な解釈を行い、刻々と変化する世界情勢に対応してきたからだ。
 そこを、よく理解する必要がある。
 過日、ある特攻隊員が家族や恋人に綴った遺書を見た。とても心に残ったのは、自分の婚約者に向けて書いた、遺書の中に綴られていた。
 『自分が心配なのは、君が過去に生きることだ・・』自分は逝かねばならないが、それをずっと、悲しみとして持つのではなく、未来に生きて欲しいという彼の想いは、自分の悲しみを抑え、婚約者の未来を願った。
 未来に生きるからこそ、未来を変えることができる。
 有りもしなかった従軍慰安婦強制連行や、当時日本人も朝鮮人も同様に国家総動員法の元給与をもらいながら働いた事を強制労働と称し、大騒ぎする野蛮な民族に未来はあるのだろうか。
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こだわりとは想いやり

 『佃さん、確率60%をあなたはどう思う?』下町ロケットの一場面だ。
 下町ロケットのロケット編が完結し、ガウディ計画ががスタートした。これは人工心臓の人工弁の開発を描くドラマだが、実はこれにはモデルになった企業が実在する。
 長野県諏訪市にあるサンメディカル技術研究所がそれだ。さらに、体内埋め込み型の人工心臓は国産初であり、それは『エバハート』と呼ばれた。
 エバハートは東京女医科大学山崎健二教授が考案した。彼のアイディアは、人工心臓を現在の拍動型からスクリューによる連続流型にすることで小型化を図るというものだった。
 しかし、考え方があまりにも先進的すぎた。どの医療機器メーカーも開発に首を縦に振らなかった。
 何とか試作品を完成させたのは父親の経営する会社だった。しかし、これを実用化してくれる企業は皆無だった。山崎教授はそれでも夢を諦められなかった。
 なぜなら『人工心臓を小型化できれば、これまで救えなかった沢山の命が救える』ただその一点だった。そして、父親は自からの資産をつぎ込みサンメディカル技術研究所を設立。
 エバハートの独自開発に取り組んだのである。その道のりはさらに厳しかった。
 治験が始まったのは、開発から15年の歳月が過ぎていた。完成したエバハートは患者の胸に納められた。術後の患者は非常に良好な経過をたどり、寝たきりだった患者は術後一年で社会復帰を遂げたのである。
 不可能と言われたことを可能にしたのは『より多くの患者の命を救いたい』という山崎教授の想いと、その夢を共有した父親の情熱と愛情だったに違いない。
 こだわりとは想いやりと同義語だと私たちは理解している。人の役に立ちたい、それが自らの仕事のベクトルと合致していれば妥協などという言葉は決して生まれないと私たちは固く信じている。
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