長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

大変か否か、ではなく、価値ある事か否か

やるか、やらないかの判断基準は大変か否かではない。良く耳にするのは、それをするのは大変です、という言葉だ。 だから何だというのだろう。 大変か否かが、やるか、やらないかの判断基準ではない。先ずはそれ自体が正しいか否か、そして価値ある事か否か…

五感を研ぎ澄ます

日頃の生活での中で、五感を研ぎ澄ませる場面に出くわす事はそれほど多くない。五感を研ぎ澄ませるほど集中する場面は身に危険が迫っている場合や緊張して物事を実行する場合以外にはなかなかないものだ。 ツール・ド・沖縄からはや五日が過ぎ、鈍く残った筋…

血液検査は良好!

毎年、金沢ロータリークラブの健康委員会が行っている、血液検査の結果が届いた。 昨年は中性脂肪やコレステロール等が基準値より異常に高く、周りからも、あれだけ運動しているのに何で脂質異常なの、とまで言われたので今回は食事にも十分に注意して検査に…

仕事の繋がりを考える

全ての仕事は会社の仕事であり、自分の担当している事以外は自分の仕事ではない、という考え方は正しくない事は以前から申し上げている通りだ。 会社全体の仕事を俯瞰的に眺め、自分の仕事はその中のどの位置にあり、どの様な意味を持つのかを是非理解して欲…

働くとは、人の役に立つこと

過日、弊社に工場見学にやって来た金沢市内の小学五年生から手紙を頂いた。クラス全員が感想文として書いてくれたものらしい。 一枚一枚に目を通すととても嬉しい事に、私たちが伝えたかった事が、しっかりと子ども達の心に届いていた。 私は、子ども達に社…

ツール・ド・沖縄210km 勝つと決める、そして何をすべきか考え実行する

いよいよ、ツール・ド・沖縄210kmがスタートする。早朝5時半にスタート地点に向かう。市民レース210kmには439名が出走する予定だ。 昨年は初めてだったこともあり、自分の位置がつかめず落車に巻き込まれ、80km地点でタイムアウトとなった…

レストラン クチーナ

そこには看板も何も無く、静かな住宅街の一角にそれはある。沖縄の名護市にあるクチーナはイタリアンレストランである。 昨年、ツール・ド・沖縄市民レース210kmに出場する為、名護市を訪れた時、地元のタクシー運転手が教えてくれた。看板も上がってい…

いきなり国防軍は・・表現に注意!

ブログには政治的な事は記さない様にしているが、今回の衆議院議員選挙の争点のひとつとして、自民党の安部総裁が発言した『国防軍』についてはいささか心配してる。 これまでも、一貫して現在の自衛隊法の整備と憲法9条の改正については必要であると申し上…

してる事、してもらっている事

私たちにはそれぞれに役割がある。自ら翻ってみれば家庭、仕事、地域、そして公職など、それは多岐にわたる。 当然、それぞれには濃淡があり、何を優先すべきかは人によって異なるのだろう。また、自分がしている事は、よく見えるが、人にしてもらっている事…

金沢の消防

この所、天候が悪い日が続いたが、今日の金沢は青空が広がり、風は冷たかったが久しぶりの晴天だった。今週の日曜日は今年最後の沖縄市民レース(自転車競技)210kmを残すのみだが、このところの悪天候で全く練習が出来ず、毎日ローラー台の上でペダル…

管理ポイントをルーティン化し、強力に実行せよ

専用設計車両と標準化は実は相対する事ではない。私たちが製造する専用設計車両は地域の特性や消防戦術に合わせてオーダーメイドのスーツの様につくり込む事を一義としている。 しかし、専用設計をするから標準化できないという事はある意味正しくない。専用…

アンドロイド4.0にバージョンアップしたら・・・

アンドロイド4.0にバージョンアップしたら動きが改善されます・・と教えてもらい、昨日スマートフォンをアップデイトした。 確かに動きがとてもスムーズになったので、これは良いと思ったのもつかの間、何時もの様に今日、出張に連れて出かけたのだがバッ…

お客様の要求を深く考える

今日の金沢は朝から冷たい雨が降っていた。入魂式が開催されるため、能登町に向かう。多分、寒い一日になりそうである。雨が恨めしい。 さて、能登町での入魂式も無事終わり、その後の祝賀会にもお招き頂き出席した。こんな機会は日頃聞くことが出来ない情報…

心だってケガをする

今日、心のケアについての講演会を開催した。このところ、自然災害や様々な事故など、私たちにとって衝撃的な場面に遭遇することが少なく無い。 特に心身共に発達途上の子供たちは、そんな場面に遭遇すると、自分の中でどう処理してしいのか分からず色々な症…

営業の基本は不変

私に営業のイロハを教えてくれたのは前職でお世話になった営業部の課長だった。技術職として、生産設備の省力化や様々な案件の開発を行って来たが、営業職に転属となった時、営業の事は全く分からなかった。 また、営業に転属した時は無から有を生み出したり…

視点を変えて思考する

若いエンジニアは小さくまとまらないで欲しい。冒険が出来るのは若いうちだけである。柔らかい頭で大きく発想して欲しいのである。 思考する際に大切にして欲しいのは出来ない理由ではなく、やる方法を考える事である。可能性があれば、それをふくらませて欲…

周りを感じて仕事をする

周りを感じて仕事をするとは、仕事の繋がりを考えて仕事をする事に等しい。何度か申し上げている通り、全ての仕事は繋がっており、自分に与えられた仕事さえ出来ていればそれで良いという訳ではない。 全てに言える事だが、次工程に仕事を送る時、次工程の事…

ひとの役に立つ

今日は黄色い帽子をかぶったひよ子たち(小学校5年生)が大挙して弊社の高柳工場にやって来た。学校の授業の一環で、自動車をつくる工業という勉強をしているらしい。 当然、彼らは消防車をつくっている場面など見た事もないので、目を輝かせて興味津津の様…

自分の仕事とは何か?

組織にはそれぞれのポジションがあり、それぞれの役割がある。当然、全てが会社の仕事であり、自分の仕事ではないという言葉は正しくない事は理解している通りだ。 しかし、先ずは自らに与えられた役割を、責任を持って実行することが前提である。マネージャ…

期待に応える

青空が見えたのは昨日一日だったようだ。先週は東京、京都と出張が続き、太平洋側の天候の良さに羨ましく思った。 天気が良いだけで労働生産性も上がるような気がする。先ずは気持ちや、モチベーションが違う。青空が広がると元気になるのは私だけではないと…

初物・・金沢の冬の味覚、香箱カニ

金沢の冬の味覚といえばズワイガニである。数年前から金沢港近海で捕れるものを『加能ガニ』と呼ぶようになったが私たちにはズワイガニの方が馴染みが深い。 金沢では毎朝、魚屋さんが鮮魚を運んできてくれるのだが、魚屋さん曰く、今年は海水温が高いのでカ…

レトロな東京駅は新しい東京の顔

金沢の窓の外はどんよりとした空が広がっていた。今日は早朝のフライトで東京に向かう予定だ。 今週は水曜日を除いて出張が続いたので少々疲れた感がある。ただ、羽田に降り立つと気力が漲り、やる気がわいてくるのは不思議な感覚だ。 今日は取引先の代理店…

顧客を創造し、顧客のニーズを満たす

私たちのものづくりは決して自分都合であってはならない。また、利益を上げることが企業活動の目的ではないが、利益を出す事が出来なければ、連続性をもってお客様にご満足頂ける製品の創造を行うことは出来ない。 しかし、考え違いをしてはならない。生産効…

別注堂

皆さんは別注堂というショップをご存知だろうか。これは従来からあるブランド製品にちょっとした加工を施し、オリジナルのブランド製品を開発し、販売しているWEBショップである。 この手法は、BEAMSなどが有名ブランド品のBEAMSオリジナル製品…

空の仕事人

何時ものように、東京への往復の航空機の機内は読書の時間である。何か面白い文庫本はないか探していると、こだわりを持ってつくられる『モノ』の特集が組まれた雑誌を見つけたのでそれを読むことにした。 その雑誌には2ページほどを割いて、空の仕事人、す…

表彰を頂きました

本日、消防設備関係功労者等表彰式が東京の明治記念館で開催された。今回は被表彰者として弊社が選ばれ、会社を代表して表彰式に参加させて頂いた。 今回の表彰は日頃から社員の皆さんが使命感を持って、消防設備の保守点検、維持管理を行ってくれた事による…

評論でなく実行する

問題は山積している。それらを評論しても何も始まらない。ともかく、直ぐにでも実行する事だ。間違っていれば修整すれば良い。 深読みは実行を遅らせ、新たな問題を生み出す事になりかねない。それが正しいか否か、そして70%の確立があれば実行するのであ…

国旗掲揚

過日も書きしるしたが、最近国民の祝日に国旗を掲揚しなくなった事に気付いた。私たちが子どもの頃は国民の祝日には必ず国旗を掲揚したものだ。 祖母が国旗を出してきて、旗ざおに取り付け、玄関先に掲揚していた様に記憶している。日本国民として国旗を掲揚…

救命救急医療に懸ける情熱

国際ホテルで開催されたなおき会総会(岡田直樹参議院議員の会)には大勢の支持者が訪れていた。 この所、政治は混迷を深め国民から見透かされているにもかかわらず、相変わらず同じ事を繰り返しているだけである。今、この国に必要なのは国のグランドデザイ…

戦友との再会

私が6年間お世話になった金沢青年会議所を卒業したのが10年前の2002年だった。2002年、金沢青年会議所は50周年の節目を迎えていた。 私は副理事長ならびに50周年実行委員会の副実行委員長を仰せつかった。さらにこの年は日本青年会議所サマー…