明治維新の陰の立役者、加賀藩士
廃藩置県が行われる少し前、高嶺譲吉よりも先に海を渡った17名の武士(加賀藩士)がいた。
その中の一人佐野鼎(さの かなえ)はアメリカの息吹を吸った。今の静岡県富士市に生まれた佐野は金沢出身ではなくさらに身分が低かった。しかしとても聡明であった彼は下曾根金三郎の塾で学び、塾頭になる。
その後、壮猶館(兵学校)が加賀藩に作られた時、西洋砲術師範として活躍する。壮猶館跡は石川県知事公舎の左側にあり、今でも壮猶館の門が当時の面影を残している。
明治維新と言えば薩摩藩士、長州藩士が上げられるが、加賀藩士も陰で大きく明治維新の実現に貢献した事が近年明らかになって来たと聞く。
後に佐野鼎は東京大学進学率30年トップである開成学園の前身である共立学校を創立した事は意外に知られていない。彼の志は現在においても多くの優秀な若者を育てる礎となっている。
武士は気骨、気概のあるものであり、江戸から明治にかけて大きな革命を成し遂げた。その一翼を担った加賀藩士たちは私たちの誇りであり、ふるさとを学ぶ事の大切さを教えてくれたように思うのだ。