長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

左義長で感じる矛盾


 本来なら松の内である1月15日が左義長なのだが、今年は15日が平日なので今日14日に左義長を行うところが少なくない。左義長はお正月に使ったしめ飾り燃やす火祭りで、起源は鎌倉時代にさかのぼる様だ。
 私たちの地元でも、今日左義長が行われ神社の境内には沢山の人がお正月のしめ飾りを燃やしに来ていた。
 当然の事ながら、火の番は金沢市消防団である。防火服に身を包み、鳶口を使い器用にそれを燃やしていた。『鳶口の先が燃えませんか?』と言うと、『燃えない左義長用の鳶口を考案してよ』と言われた。
 さて、近年左義長でお鏡を燃やしているのが目に付く。私たちが子どもの頃は開いたお鏡を針金の先につけて、左義長の火で焼いて食べたものである。
 外側だけが焦げて、生焼けのお持ちでも、とても美味しく感じたものだ。それを食べると無病息災で一年を過ごせるとも言われた。お鏡は食べ物である。それを焼いてしまうのは見ていても抵抗がある。
 飽食の時代、今では開いたお鏡を食べる事さえ少なくなったのだろう。
 現在、日本の食料自給率は40%を割り込んだ。外国から60%を越える食料を輸入している。そして、一年間で日本で廃棄されている食料は2000万トンに及ぶという。
 世界で飢餓に苦しむ子ども達に援助されている食料は1000万トンだ。この事実に矛盾を感じ、こんな事をしていたら何時かはバチがあたるように思うのは私だけではあるまい。
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