長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

当たり前すぎる、当たり前の事

 夏休みになると、子供たちは、当然のことながら毎日家に居る事になる。部活動をしていれば学校へ行く機会も増えるが、基本的に家にいる時間は比べるべくもなく多い。
 激しい練習の後の、体操着も汚れた衣類も、気が付けば綺麗に洗って、次にまた気持ち良く着れるように準備されている。
 そう、当たり前の様にである。当たり前の事が、当たり前に出来ているのは、ある意味当たり前ではない。目に見えないところで、それをやってくれている人がいるからだ。
 しかし、子供たちはそんな事には気づくはずもない。そして、自分の都合でものを考え、それが自分の思うようにできなければ、不貞腐れるのである。
 ある意味、自分の子供の頃もそうだったのかもしれない。
 以前に、一年間、ロータリークラブの交換留学生でアメリカに留学した学生が、『一年間三組のホストファミリーにお世話になり、本当に感謝しているけれど、自分が自分でいられる場所は自分の家庭しかないことに気づいた』と言っていた事を思い出す。
 自分が自分でいられる場所は、それを陰から支えてくれる人のお陰なのだ。
 何時も当たり前のように家族が周りにいるが、その当たり前が当たり前でなくなった時初めて分かることなのだろう。

 日頃、私たちの周りを見まわしてもそんなことが沢山あるのではないだろうか。自分が幸せの中にいるときは気づかない。

 当たり前に感謝して・・・でもなんだか難しい事なのである。
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