長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

点の記のルートを行く

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 新田次郎の小説、点の記は、明治時代末期に日本陸軍参謀本部陸地測量部が、日本地図を完成させるため、未登頂とされた、北アルプス剱岳の登頂と測量に取り組む姿を描いたものである。
 その登頂ルートとして、選ばれたのが、案内人の宇治長次郎の名前を戴く長次郎谷ルートである。
 今回私たちは、剱岳のバリエーションルートのひとつ、長次郎谷ルートを行く事にした。早朝、4時に剣山荘を出発。先ずは、剣山荘と劔沢小屋の間の雪渓を標高差1000m下る。雪渓は所々クラストしているので、念のためアイゼンを着装した。
 長次郎の出会いから、長く、大きな雪渓を進む。熊ノ岩までは、平均斜度30度の雪渓が待ち構えていた。ここからは、音もなく落ちてくる落石に要注意だ。
 常に、顔を前にあげて進む。暫く進むと熊ノ岩が見えてきた。熊ノ岩に向かって右のルートを右俣、左のルートを左俣といい、左俣はかなり勾配がキツイので、右俣から熊ノ岩の上方をトラバースする事にした。
 熊ノ岩を過ぎると、さらに勾配がキツくなり斜度は40度にも達する。もうここからは、下る事すらできない。自然の大きさにこれまでにない緊張感を覚える。
 今年は、雪が多く、斜度がキツイので、途中からダガーポジションで直登する。すると、岩陵帯のとり付き点の100m程下の部分に、大きなクレパスが二ヶ所口を開けていた。

 情報の収集不足を悔やむが、もうそんなことを言っていてもしょうがない。ルートファインディングを行うと、右側が僅かにつながっているのを発見。しかし、この部分は雪の壁だ。ダガーポジションで、ピッケルを打ち込み、キックステップでアイゼンを、蹴り込んで一歩いっぽ慎重に登った。
 ここをクリアーすれば、後もう少しだ。岩陵帯のとり付き点で、アイゼンを外し、ピッケルを、アタックザックに仕舞う。慎重に岩陵帯を登り、山頂へ。
 剱岳の山頂には、二十人程が、居たが、バリエーションルートから登ってきた我々に驚いていたようだ。
 生憎、山頂はガスが掛かり、素晴らしい眺望はお預けだったが、長次郎谷ルートを登りきった、安堵感と満足感は何ものにも変えることはできないものである。
 今回は、友人の八木君には大変お世話になった。この場を借りて御礼を申し上げたい。
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