長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

[ひとりごと昭和の唱歌

 私たちが子どもの頃、当時の歌謡曲を周りの大人は何を歌っているのか良く分からないと言っていた。
 また、山口百恵桜田淳子森昌子など、花の中三トリオといわれるほどアイドルが低年齢化してきたのもこの時期だ。
 沢山の新人歌手がデビューした時代だったから、当時の大人は歌手の名前も覚え切れなかったのだと思う。
 時は過ぎ、今私たちがそんな立場になってきた。とても速いメロディー調や、横文字が混じった曲も歌詞の内容が意味不明だ。
 子ども達はあっという間に曲を覚えてしまい、口ずさんでいるが、私は聴いていても感覚でしか捉えることができない。耳がついていかないのだろう。
 少し前に、由紀さおりと、安田祥子姉妹が歌っていた昭和の唱歌がとても耳に馴染む。
 小学校の頃、学校の音楽の教科書に載っていた唱歌は、当時は言葉の意味すらわからなかったものがあったが、いま聴くと、当時の日常が目に浮かんでくる。
 滝廉太郎の荒城の月は明治に作曲されたものだが、とても綺麗な日本語とその曲調は何ともいえない情緒がある。
 私たちは、四季を音楽や匂いで覚えていたのだろうか。
 春には春のメロディーや匂いがあった。夏は、我は海の子のメロディーや青臭い緑と土の匂い、秋は虫の声のメロディーや稲を刈ったときのわらの匂い、そして冬は学校の石炭ストーブの匂いだ。
 最近は音楽の教科書から昭和のメロディーが消えつつあると聞くが、日本の文化として子ども達に伝えて欲しいものだ。大人になった時、きっとそれは心の中に残り、子ども達の心を豊かにしてくれるに違いない。
にほんブログ村 経営ブログ オーナー社長へ
↑ポチっと押して頂ければ幸いです