長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

小姑(こじゅうと)が必要な時代

 亡くなった祖母には、お箸やお茶碗の持ち方、食事をする時の姿勢など細かく注意をされた事を思い出す。
 当時はうるさいとしか思えなかったが、翻って見ればお箸もお茶碗も今は正しく持てる。食事をする時も、とりあえず人には恥ずかしくない姿勢で食べる事が出来る。
 うるさく言われながら自然と身に付いたからだ。多分、大人になった時のことを見据えてうるさく指導してくれたに違いない。
 最近、部下との人間関係を良好に保つ事が良い上司だと勘違いしている様に思う。ある意味で、注意出来ない上司は愛情が無いことの裏返しだと思う。あまりにも関係に気を使うあまり、見て見ぬふりをするのは相手の事を真に思いやっていないからだ。
 程度の差こそあれ、人は叱る事で気づき、学び、成長するのだ。感情でまくし立てても上手く伝わらない。部下が成長した姿をイメージして接して欲しい。
 職場のコピー機の横にミスコピーや宛先の分からないFAXが何時まで経っても放置されている事に気づく。
 灰皿のタバコの吸いがらが盛り上がっていても、誰も捨てに行かない。枯れた花が花瓶に差したままになっている。
 電話がかかってきて『誰か○○さんに電話しましたか?』と聞いても返事がないなんて事はないだろうか。
 誰かがやるだろう、誰かが答えるだろう、面倒な事はしたくない、という雰囲気は非常に危険だ。先ずはマネージャーが率先して小姑(こじゅうと)になろう。
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