長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

金沢市消防出初式

 明治二年、三十八人の加賀鳶が金沢に召し寄せられた。加賀鳶は江戸の加賀藩邸を守る大名火消しだ。
 「加賀鳶」が江戸火消しの代名詞になったのは、命懸けで火を消す行動だけではなく、大きな雲と稲妻を染め抜いた長半纏、その上に着た革羽織等の華麗な火事装束や行列では腹を突き出し、左手と左足、右手と右足をそろえて進む「伊達歩き」で威勢を誇った。
「火事とけんかは江戸の花」その中心にいた「加賀鳶」は後に浮世絵や歌舞伎、落語小説の題材になった。
 幕府が倒れ、一八六九年(明治二年)前田慶寧は江戸の「加賀鳶」三十八人を金沢へ召し寄せ、これに金沢の火消し二百人余を加えて結成した消防組織が今日の義勇消防(消防団)へとつながって行く。
 江戸の加賀鳶は二年後帰京するが、義勇消防は加賀藩の江戸と金沢に分かれた火消しの伝統が溶け合う形で新たに出発することになる。
 今日では金沢市内、四十九の校下ごとに組織された分団(団員千六十四人)にその伝統は受け継がれているのだ。
 金沢消防出初式では加賀鳶の流れをくむ、加賀鳶梯子登りが披露され市民や観光客の喝采を浴びる。私たちは消防車づくりの角度から彼らをサポートできる事を誇りに思う。
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