十七条の憲法
一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
これは聖徳太子が制定したといわれる十七条の憲法の第一条である。
訳すると次のようになる。
一に言う。和を何よりも大切なものとし、いさかいを起さぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。故に、君主や父親の言うことに従わなかったり、近隣の人達とも上手くいかない。
しかし、上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずから、物事の道理にかない、どんなことも成就するものだ。
これは西暦604年、何と今から1400年以上も前に制定されたものである。この内容を読んでいると人間と言うものは今も昔も性質は変わらないものだということを教えてくれる。
また、十条にはこうも書かれている。(以下訳のみ)
十に言う。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、他の人が自分と異なったことをしても怒ってはならない。
人はそれぞれに考えがあり、それぞれに自分がこうだと思うことがある。
相手が良いと思っても自分は良くないと思う。また、自分が良いと思っても相手は良くないと思う。
自分だけが聖人で、相手が必ず愚かだというわけではない。人は皆賢愚合わせ持つ不完全な凡夫なのだ。
それは耳輪には端がないようなものだ。故に、相手が憤っていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかと恐れなさい。
これは人それぞれ考え方は違う物であると言うことと、『原因自分論』で物事を考えなさい。とも教えてくれている。起こった事を評論し、他人のせいにすることはとても簡単なことである。
十七条の憲法を読んでいると今の私たちに言われているように思えてならない。
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