長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

わが白山連峰


 昨年、落雷で破損した白山(標高2702m)の山頂に設置されていた方位盤が修復され夏山開き前にヘリコプターで運ばれるという記事が新聞に書かれていた。
 新聞にはこの方位盤を担ぎあげた登山家がいた、と紹介されていた。
 この登山家こそ何を隠そう長崎幸雄氏である。実は長崎幸雄氏は私の妹の同級生の父親であったが、彼女がまだ小さい時に、難病を患い三十九歳の若さで他界してしまった。
 私は長崎幸雄氏の著書『わが白山連峰』という本を、長崎幸雄氏の娘さんから妹が頂いたものを、幾度となく読み返した。
 その、銅製の方位盤は重さ75kgで当時、何人ものサポートで長崎幸雄氏が担ぎ上げた。
 彼の著書には到底一日では担ぎ上げることはできず、一九五七年七月二日、九日、十日と三日がかりで担ぎ上げ、山頂に到着したのは一九五七年七月十日、十三時五分と記されている。
 私は毎年ホームグランドのように白山に登る。ひとシーズンで多いときは5回(全てルートは変更するが・・)は登る。
 山に登っている時は、本当に何も考えないで、自然の中に生かされている自分を感じることができる。
 私はいつも装備は極力軽量にして登るが、当時、長崎幸雄氏が辿ったルートを行く時、ここを75kgの方位盤を担いで登ったのかと思うととても信じられない。
 新聞には75kgの荷物を担いで登ることは不可能ではないと書かれていたが、それはザックのように担ぎやすい形状ならばそれも考えられるが、相手は円形の方位盤である。その苦労は並大抵ではなかったと思う。
 長崎幸雄氏が何故、方位盤を担ぎ上げようと思ったかは本に記されてはいるが、ここには書かないでおこうと思う。
 必ずやると決めて、挑んだ精神力と強靭な体力そして、それをサポートしてくれた仲間がいたからこそ実現した偉業だったと思う。
 私たちが山に登る時、登山計画を立てルートを定め、装備を整える。そして、一歩いっぽ頂上に向かって登る。
 登山は会社経営にとても良く似ている。そして、うまく歩を進めることができない時、それは大きな原因ではなく、靴の中に入った小石が原因であることが多い。
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