長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

かなざわ弁

 自分たちが小さな頃、祖母が使う、かなざわ弁を聞いて育った。かなざわ弁は本当に独特のものがある。私が東京で生活を始めた時、先ず困ったのがイントネーションの違いだった。
 例えば『箸』と『橋』は関東ではイントネーションが違うが、かなざわ弁では同じである。また、『雨』と『飴』も関東ではイントネーションが違うが、かなざわ弁では同じだ。
 また、壁などに『寄りかかる』を『よしかかる』と言うのも最初は標準語だと思っていた。
 かなざわ弁を上手に使う人はとても少なくなった。私が知るところでは主計町のなべ『太郎』の大女将は本当に綺麗にかなざわ弁を使うお一人である。
 『あんやとねぇ』(ありがとうの意)と言う言葉はとても上品で艶っぽい。最近では『わらびしい』(子供みたいなの意)なんという言葉もあまり聴かなくなった。
 テレビでは標準語をはじめ様々な地方の言葉が普通に流れる。それが耳から入って自然に話すようになる。
 これまでその地方に行かなければ聞けなかった言葉をメディアの発達により、どこでも普通に聞けるようになったことが、正しい方言を変化させてしまったひとつの原因なのだろう。
 もう何年かすれば、あの艶っぽいかなざわ弁は聞けなくなってしまうのだろうか。寂しい限りである。
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