長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

金沢とシャンソン

 朝、車両事業部の朝礼に参加し、工場の工程など各GLとディスカッションしながら問題点を点検する。先日から朝礼のやり方を変えるように指示したので、朝礼は徐々にであるが、活発になってきた。
 その後、本社へ戻り朝の業務を完了させた後、私が所属する、金沢ロータリークラブの例会に参加する。
 本日の卓話者はフランス音楽評論家の『永滝達治』さんである。『永滝達治』さんはフランス人のコメンテーター『フランソワーズ・モレシャン』さんの旦那様でもある。
 本日の演題は『シャンソンで知るフランスの心』だ。永滝さんは学生運動が活発だった50年代、日本にいても、と思い立ち、単身フランスに渡り、その時に出あったフランス音楽、特にシャンソンに魅了されたそうである。
 昔、銀座には『銀巴里』というシャンソン喫茶があり、かの美輪明宏氏がまだ丸山明宏と名乗っていた頃、この『銀巴里』で歌っていたそうである。
 皆さんはフランクシナトラが歌っていた『マイウエイ』という曲をご存知だと思う。この『マイウエイ』は実はシャンソンでポールアンカーがアメリカへこの曲を持って行く前の原曲は『コムダビチュード(いつものように)』という、倦怠期を迎えた夫婦の歌なのだ。
 内容はこうだ『冬の朝、起きると女房はまだ背中を向けて寝ている。オレは一人でおきてコーヒーを入れる。そしていつものように会社に行き、いつものように仕事をする。そして、会社から帰ってくると、女房は遊びに行っていない・・』と、まさしく倦怠期の夫婦の曲なのである。
 それがフランクシナトラが歌詞を変えて歌うと、『自分の道は自分の心が決めたままに自分をを信じて進む』というすばらしい曲になる。
 誰もが『マイウエイ』の原曲がこんな歌だとは思いもよらなかっただろう。
 最後に、金沢は古いフランスのシャンソンが似合うまちである、と言っておられた。古都金沢とフランスのシャンソン、何とも、不釣合いな気がするが以外に、とてもマッチするのかもしれない。
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