長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

石村順吉先生

 神業のような腕の持ち主だった。私が通った高専の実習工場の手仕上げの先生が石村順吉先生だった。先生はもう今では故人となられたが、私の胸に残る先生の一人である。
 当時、高専では工場実習をとても重視していた。木型をつくり、木型から砂型をつくり、学校にあった小さなキュポラでアルミ合金を溶かし、鋳造の技術を学んだ。木型には抜き勾配があること、砂型から木型を抜くには小さな振動を与えながら抜くと抜きやすいこと。ガス抜きをどこに立てると効果的か、などものづくりの原点を学んだ。
 石村先生は神業のような腕を持っていた。鋳鉄の長方形のブロックをたがねとやすりを使って、八角形にする。私たちはたがねの先端を見ないで、たがねのたたく部分を見るものだから、自分の手をたたいてしまう。
 血だらけになりながら、たがねハツリをやったものだ。石村先生は基本の大切さをいつも仰っておられた。基本が出来ていれば容易に鋳鉄のブロックは八角形にかたちを変えていく。
 しかし、それがなかなか出来ないのである。コツをつかんだ時、一撃で鋳鉄が飛び散る。あの感覚は今でも忘れない。
 とても原始的なことの連続ではあったが、ここにものづくりの原点が育まれたのだろう。ここを飛び越しても今では何の問題も無く、ものづくりは出来るが、それは浅いものになってしまう。
 基本とは目立たないものかもしれないが、スランプに落ちた時、どれだけ基本からずれているか知っている人は強いものである。
 今でも先生の顔に深く刻まれたシワと、あの大声で怒鳴られたことを忘れない。
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