長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

大根おろしと職人の業

 今日、移動中に車載テレビから『おろし金の修理依頼が・・・』という言葉が耳に入って来た。おろし金を修理するなど聞いたことが無いなと思い。耳をこらして聞いていると、手作りのおろし金らしい。
 私が日頃目にしているのは鉄でできた他愛も無いおろし金である。しかし、東京は葛飾区に住む勅使河原氏の作るおろし金は、おろし金の形状に切り出した銅版を木槌と金槌を使って平らにし、その上に錫を焼き付け、それを小さな鏨を使って目を立てていく。
 錫は銀色だがベースの銅は赤茶色をしているので、鏨で目を立てると刃の上が銀色、そして根元が赤茶色をしていてその色合いがすばらしい。また、機械で目を立てたものは目が均一になっているが、勅使河原氏の手から生み出されたものは不均一で鋭い為、大根の繊維をしっかりと切断し水分を程よく残す為、雪の様な大根おろしが出来るという。
 あるお客様からは『これ以上のものに出会いません 修理をお願いします』といって修理依頼が来るのである。購入すれば七千円ほどの物だ。わざわざ修理するほどでもと考えてしまうのは間違いだと気が付いた。
 おろし金は道具なのだが、そのおろし金には使用者の思い出と共に何にも代えがたい愛着があるのだと思う。
それを理解し、勅使河原氏は新品のそれを作るのと全く同じ方法で修理を行うのである。
汎用品は形はそれに似ているが、その機能には全く及ばない。形には意味があり、それを理解して初めて目的を達成できるのだ。
何を語ろうと、ものがものを言うのである。
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