長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

洪庵のたいまつ

 江戸末期に生まれた医者がいた。彼は名を求めず、利を求めなかった。自分自身あふれるほどの実力を持ちながら最後まで他人のために生きつづけた。
 彼は備中(岡山県)に生まれ大阪でオランダ医学を学んだ。もともと病弱であったが故に何故人は健康だったり病弱だったりするのかを考え、さらに人間の体の仕組みについても考えた。
 そして、大阪で中天ゆうに医学を学ぶのである。そして二十二歳の時江戸へ行った。江戸では坪井信道に学んだ。
 この時江戸では偉い学者は自宅を塾にして学問を若者に伝える事が社会への恩返しとされていたそうだ。
 その後、洪庵は勉強に勉強を重ね自分の塾『適塾』を起こした。その塾では出来る者が出来ない者を教えた。そして塾頭と言われる者が塾の代表として塾をまとめた。
 今のように、自分だけが出来れば良いという考えではなく、出来る者が出来ない者をフォローし全体をまとめていく事が出来ていたのだ。この事は弊社の防災事業部長が常々口にしており、チームで動く事の大切さを教えてくれた。
 この『適塾』には後の慶應義塾大学創立者になる福沢諭吉も学んだと言う。そして、この適塾には厳しい戒めもあり、こう書かれていた。
 『医者がこの世で生活しているのは人のためであって決して自分のためではない。決して有名になろうと思うな。又利益を追おうとするな。ただ自分を捨て人を救う事だけを考えよ』
 この言葉は非常に深く心に残った。これは今でいう企業理念にあたると思う。仕事には何故その仕事をするのかと言う原点があり、それを求め人の役に立てば利は付いてくるといえる。
 これは今の政治家をはじめ日本人が取り戻さなくてはならない心なのかもしれない。

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)

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