雪の中の左義長
左義長で書初めを燃やし高く空に舞い上がると習字が上手になると亡くなった祖母がよく話してくれた。
左義長の時期になると近くの神社にしめ飾りやお札を燃やしに出かけた事を記憶している。
当時はお鏡を開いたものを水につけ、表面のカビを落とし、それを針金の先にくくり付けて左義長の火にかざし、焼いて食べた事を思い出す。
カビが生えたお鏡はカビを落としても何だかかカビ臭かったが、それを食べると一年間風邪を引かないからとよく食べたものだ。特に火にかざして焼いたお鏡は表面だけが焦げて中がまだ硬かった。でも雪が降る中ふうふうと息を吹きかけて食べたお鏡の味は今でも忘れない。
以前、『食事の原風景』という内容でブログに記した事があったが、この左義長の燃える火を見ているとそんな原風景を思い出した。
今では、お鏡ごと燃やしてしまう人もいるが、物がなかった当時の人たちは保存食であるお鏡も大切に食べたのだ。
子ども達はお鏡を開いたお餅をかび臭いと言って食べないが、私たちが子どもの頃、ぜんざいにして食べた原風景が何故かとても懐かしく感じるのである。
子ども達が大人になった時、私たちはどんな記憶を原風景として残してあげられるのだろう。今日がそんな一日だったら幸せである。