長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

被災地へ・・・

 昨日の20時に金沢を出発、宮城県仙台市へ向かった。東日本大震災で被災した児童生徒の就学支援事業を行なう為に現地へ出向き現状とニーズの調査を行なった。
 今回の被災地は岩手県宮城県福島県と広範囲にわたるが、津波の被害が特に大きかった宮城県の調査に向かった。
 宮城県PTA連合会の会長さんは被災者であり、被災自治体の職員でもある事から都合がつかず、仙台市PTA協議会の内田会長が出迎えてくれた。午前中は仙台市教育委員会、青沼教育長とお会いし現状の説明と私たちの就学支援事業についてご説明申し上げた。

 震災直後と現在では避難所の雰囲気も大きく変わり、被災者の疲れもピークに来ているのか、子ども達のしゃべり声に対して大人の避難者から辛辣な声が上がり、大人同士の諍いに繋がっている現状が報告された。
 また、仙台市内191校ある小中学校のうち90校が使用不可、または一部使用不可という甚大な被害が報告された。
 子ども達の安否については5名の死亡と1名の行方不明が確認されている。宮城県全域で1000名の子ども達が死亡もしくは行方不明となっている。

 その後、仙台市教育委員会の職員の方に被災地を案内して頂いた。今回、ニーズの調査が主目的だった為現地への訪問は避けるつもりだったが教育長から被災地を見ていって欲しいと言われ急遽向かう事になった。
 多分、自分達の目でその惨状を見無ければ何も分らないというメッセージが込められていたのだと思う。

 訪問した荒浜地区の惨状は目を被いたくなるほどだった。報道で見るのとではまったく異なる。現場に赴いた6県の会長さんたちは参上を目の当たりにして涙を浮かべていた。
 13時には宮城県教育委員会小林教育長と面談する予定なので、被災地を後にした。帰りの車の中で一様に皆さん無言だった。教育長には私たちの事業の説明と問題点などをディスカッションし行政とPTAが連携する事を確認した。
 最後に立ち会ってくれていた宮城県PTA連合会の江刺事務局長がコメントをしてくれた。
 『私はチリ津波を経験しています その時家が流され、それこそ4ヶ月間他人様の家にホームステイさせて頂いたのです 当時は親と離れ、とても寂しい思いをしましたが今振り返ればその経験は私の人生にプラスになったと思います そして、チリ津波を経験したことからその後、家は高台に建てたましたが、今回の津波でその高台の家が流され、私の老いた両親を亡くしました 残念ですが、しっかりと埋葬できた事だけでも幸せです』
 私たち全員何も言えずただうつむいて涙をこらえた。被災地は私たちが思っている以上に悲惨だ。
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