長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

育てる側の言い分、育てられる側の言い分

 国際ロータリーの事業である交換留学制度は世界中の国の子供達に様々な文化に触れる機会を提供している。
 当然、母国語とは全く異なる地域への留学は苦労することになる。日本からアメリカ、カナダ、オーストラリアに渡る日本人も、その逆でそこからやってくる外国人も最初の半年間は多くの人たちにサポートを受け留学生活を全うすることができる。
 大体、半年が過ぎた頃から、殆どのことが自分でできるようになる様である。すると、最初、苦労した際に様々な人からサポートを受けたことを忘れてしまい、全部自分自身の力で乗り切ったと思い込む学生が少なくない。
 従って、留学経験のある学生は日本に帰って来てから、海外からの留学生のサポートをあまりしない傾向にあるらしい。(自分は自分の力で頑張ったのだから、それくらい自分で頑張れ・・というのが理由らしい)
 こんな事は会社にもあり、上司は部下を一生懸命育てたと思っている反面、部下は自分の力で勝手に育ったと思い込んでいる、というアンケート結果がある。
 育てる側は様々な事を考え配慮し、育てたと思っていても、育てられた側はそうも思っていないのが現実なのだ。考えてみれば親子関係もそんな傾向にあり、多くの人のお世話になったと分かるのは人生の終盤に近くなった頃なのである。
 いつの間にか立場が入れ替わっているのが、育てる側の言い分と育てられる側の言い分なのである。
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