長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

誇り高き武士道

 サンフランシスコ平和条約が発行され、日本の主権が回復した日は昭和27年4月28日である。
 すなわち、この日を持って連合国軍との戦闘状態が集結したので、本来終戦記念日は8月15日ではなく4月28日のはずだ。
 私を含め、戦争の時代を生きた日本人は、少なくなりつつある。当然、戦争そのものは肯定できるものではないが、今の私たちの生活は、彼らが祖国のために戦ったという事実の元にあり、それは現在に繋がっているのだ。
 何事も、否定する人たちは何処の世界にもいるが、その人たちも彼等の犠牲の元に今の生活があるという事実を忘れてはならない。
 昭和17年3月2日、ジャワ海北西海域で連合軍と日本海軍が戦い、二隻のイギリス海軍艦艇が撃沈され、450名のイギリス兵が漂流した。
 それを、日本海駆逐艦『雷』が発見し、420名のイギリス兵を救助した事実がある。雷の艦長の名は工藤俊作と言った。この海域は、敵潜水艦による攻撃が激しい非常に危険な海域だったにもかかわらず、一部の人間を残し、総員でイギリス兵の救助にあたった。
 そして、貴重だった真水で彼らを洗い、衣類や食料を与え、病院船に引き渡したのである。その中にサムエルフォール卿が居たのである。彼は、自伝『マイ・ラッキー・ライフ』にこれを記し、この事実が明るみに出たのである。
 工藤俊作は、一切この事実を語る事がなかったのである。彼は、誇り高き日本人に敬意と感謝の念を忘れないと語っている。
 私たち日本人は、今でも誇り高き民族だろうか。考えさせられる、史実である。
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