長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

聖職の碑


 中央アルプスの最高峰、木曽駒ヶ岳は2956mのピークを持つ。
 大正二年八月二十六日、中箕輪高等小学校(現、上伊那郡箕輪町立箕輪中学校)の木曽駒ヶ岳修学旅行登山が綿密な計画の下、実施された。
 しかし、当時の貧弱な気象予報技術では、急速に発達した台風を予知することができず、暴風雨の稜線で子供達は体力を奪われてしまう。
 さらに、なんとか辿り着いた目的地の頼みの綱の小屋は半壊状態であった上に、心無い登山者によって失火の上、石垣のみの無残な姿に変わってしまっていた。
 赤羽校長は、周辺のハイマツ等を手分けしてかき集め、全員の雨合羽も利用して仮小屋を設営し、ビバークを試みるが、体力を失っていた生徒が疲労凍死するに及んで彼らはパニックに陥った。
 そして、生徒25名、地元の青年会員9名、校長を含む教員2名の総勢37名が遭難し、内、赤羽校長を含む11名の尊い命が失われた。
 新田次郎の聖職の碑は、その実話を下に描かれた物語である。
 その碑は、遭難記念碑として、現在でも木曽駒ヶ岳から将棊頭山の間の稜線に鎮座している。
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