長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

神々の領域





 剱岳のバリエーションルートのひとつ長次郎谷は新田次郎の『点の記』にも紹介されている。明治時代末期に日本陸軍参謀本部陸地測量部が、日本地図を完成させるため、未登頂とされた、北アルプス剱岳の登頂と測量に取り組んだ実話である。
 その登頂ルートとして、選ばれたのが、案内人の宇治長次郎の名前を戴く長次郎谷ルートだ。長次郎谷は巨大な雪渓に埋め尽くされ、その雪はこれまで溶ける事がなかった。一昨年までは・・・
 昨年の異常な温暖化は長次郎谷の雪を全て融かしてしまった。しかし、今年は、たっぷりと雪をいたたき以前の長次郎谷を取り戻していた。
 6月2、3日の季節はずれの寒波は、北アルプス立山連峰の山域を真冬に逆戻りさせてしまった。多いところでは30cm以上の積雪があり、剱御前小屋では2日のお昼過ぎから明け方まで雪が降り続いた。
 3日午前4時半に小屋を出発。劔沢雪渓を下降し、長次郎の出会いへ。思った以上に積雪が多く、アイゼンが効かない。
 長次郎谷を熊の岩に向けて上昇を開始。雪が少ない時は熊の岩の右側から熊の岩をトラバースし左俣を経由して長次郎のコルに出るが、今年は雪が多く、そのまま左俣を上昇する。
 長次郎のコルまでたっぷりと雪がついており、長次郎谷に関してはさほど危険を感じなかった。問題は長次郎のコルから剱岳本邦へのルートだ。
 昨日から降り積もった雪がたっぷりと岩綾に付着しており、フカフカ新雪とクラストした雪綾がミックスしていて非常にリスキーだった。
 慎重にピッケルとアイゼンを雪綾に打ち込み慎重に登る。
 剱岳山頂のお社は半分雪から顔を出していた。
 下降は別山尾根ルートを選択したが、岩綾にへばりついた雪が完全にクラストしていたため、このまま下降するのは危険と判断し、平蔵谷ルートを行くことにした。
 平蔵谷ルートは、雪も緩んでおり、シリセードで下る事ができたので一時間もかからずに平蔵谷の出会いに出る事ができた。
 そこから、長い長い劔沢の雪渓を登り返し、雷鳥沢に下降した。
 この6月に寒波により真冬に逆戻りしたのは本当に驚いた。
 登山靴もこの時期だからと、スリーシーズン用で良いか?と思ったが、もしかしたらと厳冬期用の靴を持ってきて正解だった。
 何事も油断は禁物だと深く心に思ったのである。
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