長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

日本語を知らないことを知る

 何時ものように出張の行き帰りの航空機のなかで読む本を空港の書店で物色する。読み進めると、そのなかに書かれた『袖触れ合うも多少の縁』という言葉に目が止まった。
 何やらおかしい。本来なら『多少』ではなく『他生』が正しい。多分、知ってお使いになっているのだろうが、本来この『他生』の縁『他生』という言葉は『前世』の対義語であり、袖が触れ合うのも前世からの縁かも知れないという意味が本当である。
 日本語は難しいと思いながら、考えてみると全く逆の使い方がなされている場面を見ることが少なくない。つい最近もある会合で、『このお役目は私では役不足でありますが・・』と挨拶をしている方がいた。
 本来の意味は『自分にとって役が不足している』という意味で、自分の能力から考えてこの役では簡単すぎると言ってるのである。
 多分、謙遜されてお話しになられたのだろうが、言葉の意味を知っている方は違和感を覚えたに違いない。
 これまでも日本語は変化してきたのだから、目くじらを立てることはないのではと思輪内でもないが、個人的には日本語を大切にしたいと思う。
 そういう私も沢山の間違いをしてしまう。本当に日本語は難しいのである。
にほんブログ村 経営ブログ オーナー社長へ
↑ポチっと押して頂ければ幸いです