長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

予知能力

 仕事が計画通りに進まなくなると、隠れたハザードが顔を出し始める。マネージャーに求められるのはそれを察知する能力だ。
 それは感や予知能力の様なもので、先を読む力とは別の力だ。インスピレーションとでも言えばよいだろうか。『おかしいな・・・と感じる力』と言った方が分かりやすいだろうか。
 その力は現場に精通する事で磨かれる。そこには誰にも負けない強い責任感も必要だ。
 そして、仕事全体を見渡す大局感と『おかしいな・・・と感じる』為のインターフェイスであるコミュニケーション力が何よりも必要になる。
 責任感、大局感、コミュニケーション力の三つが予知能力を磨く要素なのではないかと思っている。
 組織は生き物だ。昨日まで問題がないから今日も問題が無いとは限らない。常に変化をしている。だからこそ予知能力をフルに働かせ、問題の種を種のうちに摘んで欲しいのだ。
 現場はマネージメント力を磨く宝の山なのである。
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命を懸ける人たちのために

 私たちは誰のために消防車両をつくるのか。
 最終的には市民の安心安全の為に、消防車づくりの角度から消防職員、分団員をサポートするのが私たちの使命だ。
 私たちのものづくりに『まあ、これでいいか』という言葉があってはならない。ひとつの妥協は全ての妥協に繋がるからだ。
 よりシンプルに、より使いやすく、そして信頼性の高いものづくりが全てだ。一分一秒を無駄にすることなく現場で命を懸ける消防士の皆さんの安全を守る事が出来るように、使い手の立場に立ったものづくりを目指そう。
 彼らの殉職の報に接するたびに胸を締め付けられる気持ちになるのは私だけではあるまい。今回、秋田県能代市で消火活動中に犠牲になられた二人の消防士に心から哀悼の意を表し、ご冥福を祈りたい。
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単純であることは究極の洗練

 レオナルド・ダ・ヴィンチは『単純であることは究極の洗練だ』と言い、『何も取り去るものが無くなった時が最高のデザインだ』と言ったのはパタゴニアの創業者イヴォン・シュイナードだ。
 そしてアントワーヌ・ド・サン・テグジュペリは『完璧とは、付け加えるべきものがないということではなく、取り去るべきものがないということだ』と言った。
 全てに共通している事はシンプルである、という事だ。シンプルとは誤魔化しがきかない。だからこそ難しい。
 私たちの製造する消防車両はシンプルだろうか。それはデザインや構造だけではなく、操作もそうだ。シンプルとは必要なものがあるべき所にある状態だ。
 また、組織も肥大化すると複雑になる。
 複雑には不合理や非効率が見え隠れするのだ。何故それを行うのだろう。私たちの存在意義は、お客様から何を期待されているのだろう。
 単純である事は究極の洗練なのである。
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登り手と支え手


 過去にも書いたことがあるが、加賀鳶の代名詞とも言われる梯子登りは、明治二年、江戸から三十八名の加賀鳶が金沢に召し寄せられ、その間金沢の町火消しに梯子登りの技が伝承された。
 登り手ばかりに目が行くが、実は梯子を鳶口で支える、支え手が微妙に梯子の傾きをコントロールしている事を知っている人は少ない。
 梯子の上で技を披露している演技者の動きを良く見て、梯子の傾きを前後左右に調節いているのだ。
 当然、支え手の息がぴったり合っていなければ梯子を前後左右に微調整する事すらできない。梯子登りは演技者が皆さんの目に留まるが、実は支え手あっての登り手なのだと言われたことを梯子登りを見るごとに思い出す。
 企業でも見えないところに実は大切な部分があり、それがしっかりしてはじめて企業活動が円滑に行える事と似ている。華麗な演技は実は、あまり目に付かない支え手により支えられ、その技がさらに引き立つのである。
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山を見るのではなく、自分を見て登れ

 昨年の5月21日、一人の日本人登山家が8度目のエベレスト登山に挑戦しこの世から去った。
 彼の行動については様々な意見があるが、一部しか知らない自分が論じることは出来ないと考えているし、論じるべきではないことは明らかだ。
 彼が7回目のエベレスト挑戦に失敗し、アドバイスを求めた登山家がいる。優秀な登山家に送られるピオデドール賞(金のピッケル賞)を受けた花谷泰宏氏その人だ。
 花谷氏は彼に『山を見て登るのではなく、自分を見て登れ』と語ったという。行きたいから行くのではなく自分の実力を見極め、登れる山に登れと言ったのだ。
 登山は冒険の一種なのかも知れない。そこからリスクをすべて取り去り登るなら、それは魅力に満ち溢れているとは言い難い。自分の実力を認識し、最善の準備を行い、そこにあるリスクを理解し、挑戦するからこそ面白いのだ。
 また、ビジネスの世界もリスクを取らずして、得るものはないと承知している。自らの実力と現在地を十分に認識し覚悟して挑戦する事だ。そう、物事を動かすのは覚悟なのだと思う。
 不確実な未来を確実に近づけるためには根拠をつくり続ける事しか方法は無いのである。
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消防人生42年

 金沢市内には1ミリも雪がないが奥能登は雪の世界だ。今日は新年のご挨拶に能登半島を一巡してきた。この時期になると退任の話もちらほらと聞こえてくる。
 消防人生42年といえば、高校を卒業してから一生を通じて消防を勤め上げると言う事だ。昨今、キャリアアップのため、仕事が自分に合わない、人間関係がと転職の理由は様々だ。ひとつの仕事を勤め上げると言うことはその様な様々な問題や困難を乗り越えやり通したと言う事だ。
 自分たちの若いころのこと言えば、もう老害と言われる歳になったが敢えて言えば、仕事がまだまともにできないのに向いているいない等と言うなと言われたことを思い出す。
 仕事は、出来なかったことができるようになる事で自らの成長を感じ、モティベーションが上がる。他人から授けられるものではないのだ。そして、それが天職になるまで仕事をやり続けるからプロになっていく。天職とは巡り合うものではなく自らがつくりだすものだ。
 そして我慢強くやり続ける事で得られるものは、何事にも変えられないほど大きく、自らの中で息づくのである。
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金沢市消防出初式

 明治二年、三十八人の加賀鳶が金沢に召し寄せられた。加賀鳶は江戸の加賀藩邸を守る大名火消しだ。
 「加賀鳶」が江戸火消しの代名詞になったのは、命懸けで火を消す行動だけではなく、大きな雲と稲妻を染め抜いた長半纏、その上に着た革羽織等の華麗な火事装束や行列では腹を突き出し、左手と左足、右手と右足をそろえて進む「伊達歩き」で威勢を誇った。
「火事とけんかは江戸の花」その中心にいた「加賀鳶」は後に浮世絵や歌舞伎、落語小説の題材になった。
 幕府が倒れ、一八六九年(明治二年)前田慶寧は江戸の「加賀鳶」三十八人を金沢へ召し寄せ、これに金沢の火消し二百人余を加えて結成した消防組織が今日の義勇消防(消防団)へとつながって行く。
 江戸の加賀鳶は二年後帰京するが、義勇消防は加賀藩の江戸と金沢に分かれた火消しの伝統が溶け合う形で新たに出発することになる。
 今日では金沢市内、四十九の校下ごとに組織された分団(団員千六十四人)にその伝統は受け継がれているのだ。
 金沢消防出初式では加賀鳶の流れをくむ、加賀鳶梯子登りが披露され市民や観光客の喝采を浴びる。私たちは消防車づくりの角度から彼らをサポートできる事を誇りに思う。
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