長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

ルール

 私は政治のことについては基本的に私見は述べないようにしているが、今回の民主党小沢幹事長の発言については少々不快感を覚える。
 テレビでの報道は一部を切り取り放映するので、その前後のニュアンスは掴みにくいが、新聞各紙に書かれている発言の概要を読むと如何なものかと思う。
 中国の習近平副主席の会見をめぐり一ヶ月ルールに特例扱いをしたことについて、羽毛田信吾宮内庁長官の発言が事の発端のようだが『宮内庁の役人が作ったから、金科玉条で絶対というそんなバカな話があるかっていうんですよ。天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう、と必ずおっしゃると思うよ』とまで言い放ったのは大いなる勘違いだ。
 仮に法律に書いてなくとも、誰が作ろうとルールはルールである。これに特例を認めてしまうことはルールがそこで有名無実となることを示している。
 これからの子どもたちの価値判断基準にも今回のことは少なからず影響することを理解する必要がる。特別な事情があればルールを無視してもよいと解釈される可能性は否定できない。
 こんなことは拡大解釈され一人歩きし易い。人の迷惑にならなければ何をやっても良い、というのもその一例だ。『人に迷惑をかけなければ』ではなく、『正しいか否か』が価値判断基準であるべきだ。
 私たちは子どもたちにいかなる理由があろうとルールは守る必要があると教えている。
 私は今から2000年以上も前、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが裁判で死刑を言い渡された後、逃亡も亡命もせず『悪法も法なり』『単に生きるのではなく、善く生きる』といい、自ら毒ニンジンの杯を飲み干し、命を絶ったことを思い出さざるをえない。
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