長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

神戸から

 5時46分の時報共に全員が犠牲者に黙祷を捧げた。今回、神戸市役所の横に隣接する東遊園地で行なわれた『阪神淡路大震災1.17のつどい』に参加させて頂いた。
 朝、4時30分に起床し、ホテルを出発する。宿泊していたホテルは生田神社の直ぐ横に隣接している。

 会場に向かって歩いていると、三ノ宮駅を過ぎた辺りから、人が増え始め、神戸市役所の前にさしかかると、人であふれ返っていた。
 会場の東遊園地には竹筒でかたどった『1995.1.17』の文字の中にろうそくが灯され、大勢の人々がその周りを囲んでいた。
 ふと、目をやると二十代中頃だろうか、一人の女性が涙を流しながら、手をあわせていた。私の直ぐ横にいた男性も目からポロポロ涙を流しながら、献灯していた。

 もう還暦を過ぎた男性が、インタビューを受けていた。『お父さん逃げて、という言葉が耳について離れない』と仰っておられた。その言葉から、その男性に何があったのか想像に難くない。
 残された人々にとって、阪神淡路大震災は、まだ終わってはいないのだと強く感じた。
 多くのボランティアの皆さんが、会場で炊き出しを行い、献灯のろうそくを配っていた。私もひとつ頂き、水が入った竹筒の中にろうそくを浮かべ、火を灯し犠牲者に合掌した。
 私は今回、阪神淡路大震災の追悼式に参加した理由のひとつに、彼らと共に震災を感じ、自分自身の仕事の使命感を再認識しよう、という想いがあった。
 しかし、実際に追悼式に参加し、そんな安っぽい想いはどこかへ吹き飛んでしまった。ただ、ただ、犠牲になった方々と被災された方々に想いを馳せ、犠牲になられた方々のご冥福を祈ることしかできなかった。

 東遊園地の会場を後にし、火災で大きな被害が出た長田地区に向かう。ここは漫画家の横山光輝さんの出身地で、復興のシンボルとして高さ17mの鉄人28号のモニュメントが作られていた。今日はこの広場でも追悼式典が行われていた。
 今回、この様な機会を頂いたことに深く感謝を申し上げたい。これまでの経験の中でも強烈に心に残る体験だった。
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