長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

恩は石に刻み、かけた情けは水に流す

 これまで私たちは様々なお客様をはじめ、サプライヤー、そして協力関係にある企業の皆さんと仕事をさせて頂いてきた。その中で本当に多くの皆さんに支えられてここまで来ることができた。
 また、反面多くの皆さんにご協力させて頂いて来たことも事実である。以前、ブログで記した事があるが、『恩は石に刻み、かけた情けは水に流す』という言葉がある。これは助けてもらった事は忘れずに記憶し続け、協力してきた事は水に流して恩着せがましくしないと言う、日本人の謙虚さを示した言葉である。
 それを如実に示した出来事が日本のシンドラーと言われた杉原千畝の物語である。
 1940年、第二次世界大戦が激烈を極めた時、リトアニアの日本領事館の外交官であった杉原千畝ポーランドから逃れてきたユダヤ人に日本本国からのビザの発給を拒否する命令を無視し、人道的立場から6000人のユダヤ人の『命のビザ』を発給したことは今では知られるところだ。
 この行為により戦後杉原千畝は命令に背いたことを理由に外務省から事実上解雇されたのである。そして、終戦から24年が過ぎた1968年一本の電話がイスラエル大使館からかかってくる。その相手は、何と杉原千畝が救った6000人のユダヤ人の一人だった。
 彼は命を杉原に救われイスラエル大使館の参事官になったのである。彼の手にはあの時杉原千畝が書いたぼろぼろになったビザが握られていた。
 その次の年杉原千畝イスラエル政府から勲章を受ける。そこにはこう書かれていた『記憶せよ、忘るる事なかれ』・・・
 晩年杉原千畝は外務省を解雇された経緯についても、日本の外務省を非難することも無く、『騒がれるようなことをしたのではない。あくまで私の意志である。これでよい。』と語っている。
 私はこの『恩は石に刻み、かけた情けは水に流す』という言葉はこの物語のためにあるのだと思う。まさしくリトアニアで命を救われたユダヤ人は『恩を石に刻み』杉原千畝は『かけた恩を水に流した』のである。私たちはこんな企業になりたいと思うのである。
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