長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

啐啄同事(そったくどうじ)

 禅の言葉で卵の中から雛がコツコツと卵の殻をつつく事を『啐』と言い、親鳥が外側からコツコツとつつく事を『啄』と言う。
 内側から外へ出ようと卵の殻をつつく雛と、雛の羽化を助けようと親鳥が卵の殻をつつく、そのタイミングが一致して初めて雛が孵る、即ち『両者が相応じる得がたい機会』の事を啐啄同事(そったくどうじ)と言うのである。
 これは教師と生徒、親と子の間でもある事で教師、親の悟らせようとする機と生徒、子どもの悟ろうとする機が自然に合致した時、大切なものが伝わるのだ。
 幾ら伝える側が伝えようとしても伝えられる側の機が熟していなくては伝わるものも伝わらない。
 私たちは社内でこの事を『スイッチが入る』とよく言うが、まさしく同じ事を言っていてもスイッチが入っていなければ本当に伝わらないのである。
 その為には手を出す前にちょっと待つ事。手を出したくとも我慢して待つことが大切なのかも知れない。企業では結果だけを得ようと急ぎすぎると人が育つ機会を失してしまう事が少なくない。
 この言葉は数百年以上も前の言葉であり何時の時代も人を育てる事の難しさは変わらないのだと言う事を示している。
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