長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

平時と非常時

 物事の価値判断は平時と非常時では異なってくるものだと思う。確かに理路整然と考えて実行する事はどんな場合でも大切だ。
 しかし、非常時には常識が通じないことがある場合が少なくない。その時、どう判断するかは現場を考えて行動できるかにかかっている。
 阪神大震災のとき、人命を救う為に海外から来た救助犬を検疫があるからと国内に入れなかった話は有名だ。また、今回、福島原発で冷却作業に当たらせる為に被ばく量を一時的に引き上げて対応したのも非常時だからこそである。
 そこには十分な現状認識の下、大局的な判断があったに違いない。今回の東北地方太平洋沖地震で被災した子ども達を行政と共に受け入れる事業はある意味では私たちがやるべき事ではないのかもしれない。そういうご批判を受けるのも理解できる。また、行政の仕事だと言ってしまえばそれで済むことだろう。
 しかし、様々状況を勘案すれば誰かがやらなくてはならない場面が必ず出てくる。これは私たちの仕事ではない、私たちのやるべき事ではないといえば、現在ボランティアで動いている人達の仕事も、もともとボランティアの皆さんの仕事では無いのである。
 どの様な小さな仕事にも責任はついて回るものだ。私は被災し現地で困っている、私たちが受け入れることができる可能性のある子ども達をPTAの仕事では無いからできないと言うのは如何なものかと思う。たぶん極限の状況で子ども達だけを被災地から県外へホームステイさせるという親の判断があるとすれば、究極の判断だと思うのだ。
 その受け皿を用意し、もしその要請があったとき温かく迎えてあげることが人の道だろう。問題が多いことも、大きな覚悟が必要なことも承知している。でも、送り出す決断をせざる得ない親の気持ちを考えると何とかして答えてあげたいと思うのは私だけではあるまい。
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