長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

ブータンで最も有名な日本人、西岡京治

 ブータンの国王夫妻が国賓として招かれ、今日本では一躍話題になっているが、今から53年前の1958年に日本からブータンに渡った日本人がいる。西岡京治その人である。
 ブータンは国土の大半が山と谷であり、農業に使う事が出来る農地は1割程だった。また、国民の多くは農業を生業としていた。そんなブータン政府から西岡は農業指導員として招かれたのである。
 しかし、その道のりは平たんではなかった。様々な困難が待ち受けていたが、西岡は持ち前の粘り強さと、真摯な姿勢で農業指導を行い、それらを克服していった。
 西岡の指導により、ブータンの農業は飛躍的に改善された。また、シェムガン県の開発はその地域に大きな成果を残した。シェムガン県はブータンの中では極貧地域であった。西岡はその土地を開拓し1ヘクタール程しかなかった水田を60ヘクタールにまで拡大した。360本の水路や300kmに渡って道路も彼らの手によってつくられたのである。
 それにより極貧の地シャムガン県は驚くべき変貌を遂げた。生活が安定し子供たちが通う学校や病院が出来た。西岡は決して大きな開発を行わなかったという。ブータンの国民が自ら出来る事は自ら行うようにしたのである。
 そして、1980年に西岡はこれまでの功績を讃えられブータン国王から『ダショー』の称号を受けた。これはブータンでは最高の栄誉である。
 1992年3月21日西岡はブータンの地で亡くなる。そして、名もない日本人はブータン王国国葬で送られたのである。今も西岡はブータンに眠っている。私たちが知らない所でブータンの為に命を懸け、ブータンの為に生きた日本人がいた事を私は心から誇りに思うのである。
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