私たちは何故ゴミを拾う事にこだわるのか
以前に新採用の教師の研修の講師の機会を頂いた時こんな質問をした事がある。
『皆さんは学校の廊下や階段にゴミが落ちていたら拾いますか?』そして、『恥ずかしくないので正直に答えてください。』というと殆どの先生方が手を上げた。
『それでは学校の玄関に落ちていたら拾いますか?』と尋ねると手を上げた数は8割程になった。
『それでは学校の校門の当たりだとどうですか?』と聞くと手を上げた数は半分になった。私は皆さん正直ですねとお話しした。先ずは教師として正直であるべきだと思ったのである。
ゴミが落ちていても拾わないのは大きな問題だと私たちは考えて来た。ゴミが落ちている事そのものよりも、落ちているのが眼に映っているにもかかわらず拾わない心に問題があると考えるからだ。
それは、自分が拾わなくとも誰かが拾うだろう。自分には関係ない。という当事者意識が足りない事を示している。
これはそのまま会社の業務にも表れるものだ。コピー用紙が切れていても補充しない。洗面所が汚れていても誰も掃除しない。この状態は危険だ。
ものづくりの現場に当事者意識が欠落すると大きなトラブルの原因になる事は明白だ。私たちの仕事は『人の命を救う為に自分の命を懸ける人たちの為』の消防車両をつくり、人命にかかわる消防設備の設置管理維持を行うことにある。
だからこそゴミを拾う事を大切にするのである。それは当事者意識を図るバロメーターと言っても良いだろう。