長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

柔道とJUDO

 ロンドンオリンピックは日本国民の慢性的な寝不足の原因になっている事は誰も否定するところでは無いだろう。
 柔道がオリンピックの種目になったのは昭和39年の東京オリンピックからである。先ずは男子柔道が正式種目となったが、女子柔道が正式種目に選定されるまでなんと28年の歳月を要した。
 何れにせよ、日本柔道がオリンピックの正式種目となって今年で48年である。最近、柔道の国際試合を見ていて、柔道はこんなだっただろうか、と疑問を抱くのは私だけではないだろう。
 日本柔道はしっかりと組み手をする事が基本であり、『一本』勝ちを良しとする。しかし、オリンピックでの外国選手の戦い方は組み手を嫌い、ポイントを奪取し勝つことが全てと見える。
 当然、国の代表としてメダルを取る事が大きな目的のひとつであることは理解できるが、その事とレスリングの様な柔道をする事は全く意味が違う。
 柔道はスポーツではない。武道である。柔道は単なる勝ち負けを争うスポーツではなく、字の通り『柔の道』であり、柔道を通じて人格の完成をはかる。すなわち人をつくり社会に貢献する事とされているのだ。
 何をしても勝てばよいというは『JUDO』であって『柔道』ではない。
 今回のオリンピックでもバトミントンの試合で見られた無気力試合は、勝てばよいという行きすぎた例なのかもしれない。
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