長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

シャボン玉といのち

 かなり以前になるが一冊の小冊子を頂いた、そこにシャボン玉のうたについて書かれていた。
 子供の頃、シャボン玉を空に向かって吹いた記憶は殆どの皆さんにある事だろう。シャボン玉を吹きながら歌ったのが『シャボン玉の歌』だ。
 シャボン玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで こわれて消えた
 シャボン玉消えた とばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
 この歌はシャボン玉が上手にできて屋根までとんだ、そして、できたけど直ぐにこわれてしまった、という他愛のない歌ではなく、深い意味がある。
 この歌を作詞したのは野口雨情である。彼の長女は生まれてすぐに亡くなった。だから、シャボン玉が何とかこわれないように屋根まで飛んで欲しいという願いが込められて、
 風風吹くな シャボン玉とばそ という言葉で結ばれているのだ。
 いのちはとても重いものだ。でもシャボン玉のようにもろく、短いものだ。その短い人生の中で自らの役割を見つける旅が人生なのかもしれない。
 企業にも命がある。その平均寿命は30年といわれている。これは人間の命より短い。しかし、常に世の中から求められる役割を認識し、時代とともに変化できればその寿命は無限だ。連綿と命を受け継ぐように、私たちは企業を変化させ次代に受け継いで行かなくてはならない。
 そして、この小冊子はこの様に結ばれている。
 シャボン玉の中には息が吹き込まれている。息は空気だからシャボン玉を飛ばしている風でもある。-中略- 空気の気、息のき、みんな気である。その気でシャボン玉は膨らんで生きている。いのちとは、目に見えない、息、気が中にあって、それではじめて生きているのではないかと思うのである。
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