悔しさが成長の機会となる
これまでも、歯ぎしりする程、悔しい思いを沢山してきた。その度に、今度こそはと心に決めるのだが、時間が経つと少しづつそんな気持ちも薄らいでくる。
そして、まあ、仕方がないか、と思ってしまう自分の弱さを、自分自身が知っている。
多分、悔しい思いは神様が成長する為に与えてくださるのだと思う。それを何時も忘れず、歯を食いしばり努力する事が成長の機会となる。
裏を返せば悔しさとは、何かに対する執着心なのだ。それは勝利に対するものかも知れない。成功に対するものかも知れない。
F1ドライバーの片山右京はともかく諦めたら終わりだ、と語っている。
自転車レースは自らの戦いだ。51歳になり、何もしなければ体力も衰えてくる。しかし、40代の頃以上に努力すれば、まだまだ成長できるはずだ。
身体は衰えても心は錆びないのである。