長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

おひつのご飯粒


 私がまだ幼い頃、台所で祖母が、おひつに付いたご飯粒を丁寧に取り、それを口に運びきれいに食べていた事を思い出す。
 幼い頃から、お米はお百姓さんが汗水たらしてつくっているから残してはいけないと教わって来た。祖母はそんな事を自分の行動で示してくれていたのだと思う。
 私は今でも、ご飯茶わんの中のお米は一粒のこらず食べる。また、電気釜の保温機能が向上した事で、おひつは見なくなってしまったが、お釜に残ったご飯粒は水につけてふやかし、祖母がやっていたように、当時を思い出し、そっと食べることもある。
 子供たちは、たまにそんな場面を見つけると、怪訝そうな顔をする。
 過日、交換留学生を受け入れた時、彼らの食事の食べ方の汚さには閉口したものだ。最後まできれいに食べるという習慣がないのだろう。
 日本人の、生活習慣の中にある『頂きます』という言葉は、命を頂き私たちは生きているのだから、粗末にしてはならないという意味が込められている。
 私たちは、こんな事も子供たちにも伝えていきたいと思うのである。お釜のご飯粒を見るたびに、祖母がふやけた米粒を口に運んでいる場面が脳裏に浮かぶのである。
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