長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

経験したことが引き出しになる

 長かった子ども達の夏休みも、明日で終わりだ。
 小さい頃の記憶は年齢を重ねると薄れていくものだが、記憶しているしていないに係わらず、子どもの頃経験したことは何らかのかたちで、身体に刻み込まれるものだと思う。
 私たちが、子どもの頃のことを語っても仕方が無い事だが、夏休みの記憶と言えば、毎日身体を使って遊びまくっていた事だ。DSなどなかった時代だから、身体を使って遊ぶ事しかなかったのである。
 初めて、白山登山をしたのは、中学一年生の頃だった。当時は、今のように身体にぴったりしたザックなどなかった。頒布で出来たキスリングと言うザックを背負って歩いた。身体が小さかったから、キスリングが歩いていく様だと言われた。
 山へ登るという行為をするにも準備が必要だ。ザックに何を詰めていくのか、装備はどうするのか・・・アドバイスをもらいながらそろえたものだ。
 そんな他愛もない、小さな事の積み重ねが経験として自分の引き出しになた気がする。その年の、小さな出来事が、何らかのかたちで大人になった時の記憶として残ってくれれば素晴らしい事である。
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