長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

潔く(いさぎよく)

 リオのオリンピックが終わり、7日からパラリンピックが開催される。スポーツや武道には勝ち負けがあるが、それを判定するのが審判である。
 審判は、公平に正確にミスなくジャッジする事を求められる。日本の相撲では、その判定をする行司は腰に脇差を挿してその場に臨んでいる。
 もし、誤審をした場合は、腹を切って責任を取るという意味があるのだ。しかし、スポーツに誤審は、ある意味で付きものだ。
 2011年サッカー女子ワールドカップにおいて決勝戦で日本とアメリカが対戦し、結果として2対1で日本はアメリカに敗れた。
 その試合の中で、アメリカ選手のハンド(反則)が認められなかったという事実があった。もし・・・は、人生にはないが、あえて、もしあの時試合で行われていた二つの反則が認められていれば、日本は勝ったのかも知れない。
 試合のあと佐々木監督は、記者の質問に『審判は何を見ていたかは知らないが、私は審判の判定を尊重すると答えた』
 もし、認められていても勝負は分からなかったという意味があったのだと思う。リーダーとして潔く、私は彼の姿勢が好きだ。そして、相手を尊重する姿勢こそが、コミュニケーションの原点であり、人間の行動をつかさどるメンタリティ、モチベーションを上げるのである。
 結果として、負けたという事実はそこにはあるが、それは次につながる何かを醸成してくれると私は信じたい。
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