危険を危険と認識する
剱岳のバリエーションルートのひとつ北方稜線は、厳しい岩稜の尾根やアリ地獄の様なルンゼが目まぐるしく繰り返される難ルートである。
遭難対策協議会に所属する知人や山岳ガイドは、北方稜線の行動について厳しく警告している。今回9月の22〜24日にかけて北方稜線に出かけたが、途中、ルートを見失っていた二人の登山者に同行を求められた。
パーティを組んでいるわけではないので、責任は持てないからついてくるだけならば構わないと言うと、心細かったのだろう私たちの後について行動し始めた。
小窓の王を目指して登るルンゼは、アリ地獄の様ながれ場だ。そこを登り始めて何か違和感を感じた。なんだろうと考えていると、その同行者の二人ともがヘルメットを着用していない。一人はチューリップハットをかぶっていた。
ヘルメットを着用するように促すと持っていないとのこと。もう一人は持ってはいたが、被っていなかった。落石の巣である小窓の王へのルンゼや池ノ谷ガリーをノーヘルで登るなどとは想像もつかない。
簡単に言えば危険を危険と認識できないという事だ。実際に小窓の王へのルンゼを登っていた時に、一抱えもあろうかという岩が細かい岩を巻き込みながら、大きな音と共に落下してきた。
小さな岩でも頭にあたればただでは済まない。
こんなことは、日常生活の中にもある。問題を問題として認識できずに、問題を繰り返してしまう。問題の本質は見ようとしなければ見えない。要は意識をして視るという事なのである。
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