長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

本田宗一郎の夢


 ホンダが開発した小型ジェット機ホンダジェット』が、アメリカセスナ社の主力機『サイテーションM2』を抜いて首位となったというニュースが世界を駆け抜けた。
 今から52年前の1962年、そう私が生まれた年、創業者の本田宗一郎は新聞にこんな広告を出した。
 『国産軽飛行機の設計を募集』
 それを見て入社したのが、ホンダの吉野浩行元社長だった。しかし、ホンダが実際に航空機の開発に着手したのは23年後の1986年だったのだ。吉野元社長は結局自動車エンジンの開発を担当させられていた。
 彼は『オヤジさんにだまされた』とのちに語っていたそうだ。
 『ホンダジェット』は、全く航空機のノウハウのない所からのスタートだった為、開発は難航した。10年経っても、ホンダが目標としていた画期的なジェット機を生み出すことができなかった。社内の雰囲気は冷たく、あきらめざるを得ないところまで追い込まれた。
 しかし、夢の現実が風前の灯火となっていた97年、当時本田技術研究所のトップであった吉野社長は決してあきらめなかった。それは、本田宗一郎の夢であり、自らがホンダに入社した時に抱いた夢だったからだ。
 その後、ホンダの技術者は数々の技術を開発し、競合機種に比べ性能に優れたジェット機を開発に成功する。そして、2006年に航空機を事業化すると決定。
 ホンダが研究開発に着手してから30年目の2015年、『ホンダジェット』は本田宗一郎の夢を載せてようやく飛び立つことになった。
 本田宗一郎没後24年目のことだ。
 虎は死して皮を留め、本田宗一郎は夢を残した。それが、結実し今年ホンダジェットは世界トップシェアとなった。
 夢は実現する。情熱とそれをやり遂げる覚悟があれば。
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