長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

人を大人とたらしめる教育の不在

 新聞で『人を大人とたらしめる教育の不在』というコラムを見つけた。
 改正民法が成立し、平成22年4月から成人年齢を18歳に引き下げることになる。世界の流れは18歳成人であり、自立と社会参加の必要性を求めた結果だ。
 様々な問題点が議論された。選挙権、成人式、飲酒、タバコ、ローン契約等だが最も議論しなければならないのは、『人を大人とたらしめる教育の不在』だ。
 人はどのように大人になっていくのだろう。小さな頃から、家庭、学校、コミュニティ、職場などを通じ、学び、体験し、多くの情報を得て自分自身の価値観を醸成する。
 奈良時代から江戸時代にかけて12〜16歳に元服(成人式)を迎えた。大人の服を着て髪型を改めた。こんな時期から大人として扱われ、教育を受けた。
 今から10年ほど前に知覧に行った時、特攻記念館を訪問した。18歳前後の若者が、まさにこれから飛び立とうとした時、両親や家族に向けた遺書を残した。
 その文章の素晴らしさに、当時の教育水準の高さと、人としての成熟度合いの高さに驚いたことを今も鮮明に記憶している。
 今の日本人は、人を大人とたらしめる教育がなされているのだろうか。
 18歳を成人とするならば、人を大人としてたらしめる教育が最も必要ではないのだろうか。わたしも同感である。
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