知覧特攻平和記念館
知覧飛行場にはもともと陸軍飛行学校知覧分教所があった。少年飛行兵や学徒出陣の特別操縦見習仕官らの飛行訓練の場として建設された。
昭和十九年、戦局は悪化の一途をたどり、同年十月に海軍は神風特別攻撃隊を編成、特攻の第一陣を出撃させたのだ。間もなく陸軍も特攻隊を編成、出撃させた。知覧飛行場は特別攻撃隊出撃の場となったのである。
今回の視察では知覧特攻平和記念館を視察した。特攻に出撃したのは二十歳前後の若者である。彼らが残した遺書を読むと目頭が熱くなり涙がとどめなく流れた
驚いたのはその文章の素晴らしさだ。今の二十歳前後の若者にあれが書けるだろうか。当時の教育水準の高さを垣間見ることが出来る。
そして、当時の若者が純粋に家族のことを思い、国のことを思い散っていった事実に改めて胸が熱くなった。
決して特攻という行為を美化してはならないことは理解しているが、今の時代から過去をながめ、それを否定することは私たちには出来ない。
今の日本と平和な社会は少なくとも国を思い散っていた彼らの犠牲の下にあることは間違いのない事実であるからだ。純粋な彼らの想いを果たして今の時代を生きる私たちが継ぐことが出来ているのだろうか。
深く考えさせられたのである。
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