長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

基本と原則(その2)・・社員の皆さんに読んでもらいたい

 今朝、小布施の老舗酒蔵の番組を放映していた。その老舗酒蔵の名前は桝一市村酒造場である。小布施堂としても有名なこの会社は和菓子部門と酒造部門を持っている。
 しかし、今から十五年ほど前、酒造部門は低迷し一時期は酒造りを諦めなければならない程、経営は悪化していたという。そんな時この桝一市村酒造場にやってきたのがセーラ・マリ・カミングスさんだ。
 アメリペンシルバニア州生まれのセーラさんは長野オリンピックのボランティアとして来日し、紹介された桝一市村酒造場に入社。経営難に喘いでいたの同社の復興に取り組んだのである。
 最初は女で外国人が日本の伝統文化の一つである日本酒作りに何が出来るか、と言う陰口を言われたが、それにも負けず経営難に喘ぐ桝一市村酒造場を見事によみがえらせる事に成功する。
 その道程はweb上にも紹介されているのでここには記さないが、彼女が行なった事はまさしくマネージメントである。彼女自身は当然酒造りの技術も知識も無かった。しかし、酒造りの技術(人)そして酒造りの設備(モノ)資金(金)は桝一市村酒造場にはあったのだ。
 そして、日本人として忘れてはならない酒造りの伝統の技、木樽による酒造りを復活させたのである。昔は酒を仕込むのは全て木樽だった。しかし、手入れが大変な事や均質なものを造る事が難しいなど、様々な理由でホーロー製の酒樽に替わって行ったのである。
 その際、木樽に住む微生物が見えないところで作り上げていた微妙な味わいや木樽のほのかな香が無くなった。たしかにホーロー製の樽は手入れも簡単になり、均質にもなったがそれと引き換えに味わいを失ってしまったのである。
 近年の日本酒離れは実はこんな所に原因があるのではないかと思う。お客様は正直なのである。
 何れにせよ、彼女は守るべき伝統と、変えるべき習慣を見極め行動し、桝一市村酒造場を復活させた。彼女の行なったマネージメントは日本の伝統文化を守りたいという『情熱』により支えられているのである。
 ドラッカーは言う。『基本と原則に反するものは例外なく時を経ず破綻する』すなわち酒造りの基本を取り戻した桝一市村酒造場は復活した。彼女は現在、桝一市村酒造場の代表取締役となっている。
にほんブログ村 経営ブログ オーナー社長へ