長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

【正論】曽野綾子

 産経ニュースに作家曽野綾子さんが『どこまで恵まれれば気が済む』というコラムを書かれていた。
 >戦争もなく、食料危機もなく、学校へ行けない物理的な理由もないというのに・・・
 >今日食べるものがないというのでもなく、動物のように雨に濡れて寝るという家に住んでいるのでもなく、お風呂に入れず病気にかかってもお金がなければ完全に放置される途上国暮らしでもないのに・・・
 >全国世論調査では、30、40代では、自分の心の健康に不安がある、と答えた人が40%にも達したという。
 >しかも多くの人たちが、不安の原因を仕事上のストレスと感じているという。ストレスは、自我が未完成で、すぐに単純に他人の生活と自分の生活を比べたり、深く影響されるところに起きるものと言われる。
 皆さんはどう思うだろうか。日本は本当に豊かになった。日本人として当たり前なことが、発展途上国や非常に貧しい国では考えられない驚きとして、捉えられることが多いだろう。
 先日も、読売新聞に日本人の家族が一日に一人当たり使う水の量が280リットル、ケニアの家族は一日に20リットルである。実に14倍の水を使っている。それも、飲み水で洗車をし、食器を洗っている。恵まれていることに気がつかない。
 会社でもそうである。会社があり、仕事があり、お客様がいて頂ける幸せに感謝せずに不平不満を述べているひとはいないだろうか。
 あそこがおかしい、ここが足りないと言っていないだろうか。注意をされても素直に受け取れず、自分の価値観とミクロな論理で私は悪くない、悪いのは周りだ、会社だと言っていないだろうか。
 また、周りが取り繕ってくれるまで周りを無視したり、不機嫌な態度を取る『幼児性』が強いひとはいないだろうか。
 捻じ曲がった正義感をたてに取り、自分は正しいと大きな声を上げ、村社会を形成する、不幸な人はいないだろうか。
 会社は社会の縮図とも言える。私たちは会社を経営するだけではなく、社員がいろんな意味で社会に貢献できる、より良き社会人になるよう努力しなくてはならない。
 多角的に物を見、自分が置かれている立場がマクロな視線で見ればなんと恵まれているかに私たちは気づかなくてはならない。
 最後に曽野綾子さんはこうも言っている。>何よりも日常生活の中に爆発音がしない。それだけでも天国と感じている。これが足し算型の人生の実感だ。これだけよくできた社会に生まれた幸運を感謝しないのは不思議だと思う。

 >しかし人間は、教育し鍛えられなければ、このように思えない。子供は幼い時から悲しみと辛さに耐えるしつけが必要だ。
 >平等は願わしいものだが、現実として社会はまず平等であり得ない。しかし不平等な才能があちこちで開花している。それなのに完全な平等しか評価しない人間の欲求は、深く心を蝕(むしば)む。
 今、日本は病んでいる。物質的な豊かさに感謝せず、毎日普通に戦争による生死を気にせず生きることが何とありがたいことだろうか。
 今日は良い気づきを頂いた。
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