長野幸浩の日記『We Believe』

思いついたことを気楽に

習慣

 金沢市内は八月の旧盆を送る方が多い。今日は先祖のお墓参りに東長江のお寺まで出かける。金沢市ではキリコを墓前にお供えするため、どなたがお墓にお参りに来て頂いたのかがすぐ分かる。
 金沢以外ではこの習慣は見かけないが、多分お参りに来ていただいた方に『来て頂いてありがとう』と感謝する為の習慣なのだろう。
 ある時、県外から金沢に来ていらっしゃる方にお墓参りに帰省されるのですか、と尋ねると『お墓参りの習慣が無くて・・』と仰られたのには少々驚いた。
 私たちは幼い時からお盆の時は必ずお墓参りに連れて行かれたものだ。幼心にご先祖様に手を合わせることを学んだ。当時は意味を理解していなかったが、何時かは意味がわかる時が来る。
 現在の自分たちがこうしてここにいられるのは、先祖の存在なしにはありえない事だ。命のリレーのお陰で私たちは今の人生を送ることが出来る。
 私たちがこの世の中に存在するためにはわずか20代前におさかのぼるだけで100万人もの人達が自分という存在に係わっていることになる。この中の誰か一人が欠けても、今の自分は生まれていない。
 そして、同じ父母から自分が生まれる確率は70兆分の1という天文学的な数字だ。そう考えるとそれだけでなんと運が良いのかと思う。
 その感謝の気持ちを表すのがお盆のお墓参りなのかもしれない。この事実を理解してから『ありがとうございます』と心に思うようになった。
 私たちは限りある人生だが、私たちのDNAは永久に受け継がれる。生命の営みは本当に凄いものだ。
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