『山に連れて行ってやるよ』という無責任
それは誰にでもあることだ。
『あそこなら行ったことがあるから連れて行くよ』『今度あの山に行くから、あなたも来ない?』
その言葉の裏には、相手の命を守る責任があるという言葉が隠れている。可能な限り私が責任を持つということに他ならない。
簡単に人を誘うときの心理は様々だが、『私が先導してあげたい』『私より体力や技術が劣る人で自分の自尊心を満たしたい』『いいところを見せたい』などの動機も少なくないだろう。
決して、声をかけることが悪いわけではなく、そんなプロセスで山の世界に入ってくる人も多いと思う。
現在、教えを請うている山岳ガイドから様々な技術を学び、実践すればする程、危険を危険と認識し、その難しさ、責任の重さを理解できる様になる。
そう、軽はずみなことは決して言えないことに気付く。
なんども登ったことがある山やルートでも、自分が体験したことが唯一無二であり、同じ山を登っても自分が体験した数だけ山の存在がある。
同じ山でも、そこに行けば、また未知数の山があるのだ。油断しないこと。臆病になる事。『慎重でなかった仲間はいまはもうこの世にいない』という言葉の重みがようやく分かってきた昨今である。
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